ぐうぜんのきろく

好きな音楽とひとの話

人形の足音が、聞こえた。

 

長井望美×目黒陽介

『人の形、物を語る。』

観てきました。

 

人形や人形遣いに興味があるわけでもない私が、なぜこの公演を観に行ったかと言うと、目黒陽介の名前があったからである。

 

去年の夏頃、Twitterでこの公演の告知を見かけて、存在は知っていた。しかし、パフォーマーとして好きな人が、演出という関わり方をしてるものを、今まで観たことがなかったので、どんなもんなのかな、と二の足を踏んでいた。果たして観に行く価値はあるのか、その分野について、何も知らない私が観ても、何か得られるだろうか、と。

 

実際に予約したのが、それからしばらく経った去年の10月26日。「現代サーカスの実験場Ⅲ」を観た次の日である。そのアフタートークで聞いた目黒さんの話が、あまりにも興味深かった。パフォーマンスというものを見る上で、私の頭が足りてない部分を、埋めてくれた気がした。この人の話を聞くと、必ず何か広がる、必ず何か得るものがある、そう思った。実際に、その後、あらゆるパフォーマンスの見方が変わったりした。

 

その興奮した気持ちは、電車を乗り継ぎ、家に帰ってからも落ち着かず、そういえば、と思い、「人の形、物を語る。」を調べた。アフタートークの文字を見つけ、すぐに予約した。

 

もはや、目黒さんのアフタートークが目当てだった。単純に、もっと話が聞きたかった。

 

そしてやっと、待ち望んでいた今日が来た。

 

小雨の中、傘を忘れたので濡れながら歩き、辿り着いたTOKAS本郷。開場後、部屋に入る。

 

座布団を渡され、好きな所に座っていいスタイル。どこで演じるか予想できない。これは自由度が試されている。私が苦手なタイプだ。ふむ、と思いながら壁際に座る。他の皆様もなんやかんや壁際に座っていた。この時に目黒さんが言っていたが、この時の布陣は毎回違ったらしい。そうゆうの面白い。

 

開演。

 

目黒さんがボールを落とし、並べ、なんとなくステージと客席の境界を作り、それごとに、場所を移動しながら観ていく。

 

§ 1「胎内」

長井さんがたくさんのポールに囲まれ、糸に絡まっている。糸と、薄い布と、光と。その動きは、受動的であるが、次第に能動的に。意志を持つ。目黒さんが光を当て、ぐるぐると廻る。終わりは光源を手で抑えて、光量を減らしていた。雰囲気があって良かった。ポールが倒れ、糸が密に絡まる。

 

§ 2-1「産む」

壁にかかった袋から、人形が生まれ落ちる。もぞもぞ。足だけ、体だけ、中身のようなものも一緒に。長井さんの表情が、なんとも母のようだった。

 

§ 2-2「置く」

人形を部屋の各所にある円の中に置いていく。寝かせていく。それと同時に目黒さんが文章の書かれたプレートをあちこちに置いたり、貼ったり。近くに置かれたものを見たら、面白そうなことが書いてあったので、各所に見にいく。後のアフタートークにて、このような動きは、今回が初めて成功したのだそう。目黒さんは観客に、好きに動いて欲しかったようで、意味ありげなものをいろんな場所に置けば、動くんじゃないか、と。案の定気になって動いてしまった。置いた本人は意味はないです、と言っていたが、でもなんとなく、今を表す、後につながる文章があったように思った。

 

§ 3-1「人の形、物を語る。」

人が動かしている、人形の動き。人形は飛んだりして、豊かで楽しそうだったけど、後ろには必ず人間がいた。人形の口がぽかんと開き、何か言いたげで、とてもかわいかった。

 

§ 3-2「人の形、物を語る。2」

なかなか立てない人形。両手を持たれ、歩き始める。膝に手を当てて立ち上がっていたのが、いやに人間らしくて、そのあたりから、後ろにいる人間の存在が薄くなっていった。跳ねながら歩いたりして、踊り出す。かわいい。

 

§ 3-3「人の形、物を語る。3」

操られた人形は、各所に寝かされた人形を、歩き見て回る。人形の足音が、聞こえた。目黒さんがボールを回収し、ランダムに置き始める。ステージと客席の境界がなくなる。

最後、人形はひとりで歩いてはけていった。

 

そして、アフタートーク

人形を感情で動かす長井さんと、完全にモノとして捉える目黒さん。それぞれの発した言葉の端々にも、それを裏付けるような言葉が含まれていた。簡易的に表してしまえば、文系と理系。ドが付くほどそれぞれに偏った人たち。面白い組み合わせだなぁと思った。きっと、長井さんは、目黒さんから、事実を淡々と述べられて、相当疲弊したんじゃなかろうか、と予測した。

始め、目黒さんは人形を手に持ち、手や足を掴んで重心を動かしてみたのだそう。その動きを見て「何か違う」と表した目黒さんに対し、「痛そう」と言った長井さん。如実。目黒さんは、それぞれの人形でも、重心が違う、立たせ方が違う、自然にできる動きが違うと言っていた。きっと、作中に出てきた人形も、歩けたから歩いただけ、踊れたから踊っただけなんだろうな。

「物語はないです」、とはっきり言っていた。でも、やったことに対して、見る人が何か物語を感じたら、それは正解です、と。イーガルさんの音楽の話でもそうで、音楽を音楽として鳴らすことを意識したのだそう。感情を与えないように。人形は人形のできる動きを、音楽は音楽を鳴らし、それがあんなに豊かに聞こえてきて、合わさって、物語に見えて、不思議なもんだな、と思った。彼らは、作ったものの、伝わり方も楽しんでいる。

それと、§ 2-2でいろんな場所に置いた文章は、どちらが書いたか秘密なのだそう。私は、目黒さんが書いたんじゃないかな、と勝手に思っている。

 

目黒さんの話の中には、やはり私の足りない心を埋める何かがあって、来てよかった、と心から思った。目黒さんが演出として関わってるものも、これから、もっとたくさん見たい。

 

多方向から、面白く観れた公演でした。


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